2006/3/25


やっと着いた

パラグアイ入国三日目にしてようやく日系人の街、イグアス居住区にやって来ました。
と言っても昨日まで居たシウダーデルエステからは僅か42キロしか離れていません。
久しぶりに乗ったチキンバス(アメリカの中古スクールバス)に揺られて一時間半。真っ赤な大地と広大な大豆畑に囲まれたこの街には、見所という見所はハッキリ言って何も無く、ただ本当にのんびりと人々が暮らしているだけです。

僕は長距離バスに乗る度にアッという間に通り過ぎて行く小さな街に足を運んでみたいと思っていました。ここはまさにそんな街。しかもすれ違い様の挨拶や何処からか聞こえて来る人々の話し声は殆どが日本語です。何となく夏の北海道を彷彿とさせる自然の美しさと、のどかな街の人々の暮らしに、すっかり僕も「北の国から」気分を満喫しています。

今日は久しぶりの早起きでした。空は快晴。9時に起きてパッキングをし、チェックアウトの前に両替えと昨日買いそびれた三脚を買いに、国境近くの電気街まで出かけました。今日は天気がいい事もあって、免税街はまだ午前中だというのに凄い人でした。

恐らくこの街は南米で最もたくさんの電化製品が売られている所だと思います。旅に出て初めて、僕が使っているMacintoshのコンピューターを見つけました。本物かどうかは分かりませんが、値段も他で買うより格段に安い様に思えます。ただ旅行者と分かるとどんな商品でも相当吹っかけてくるので要注意。僕はたかがデジカメの三脚を買う為に10軒程のお店を回り最終的に5ドルで買ったのですが、同じものでもお店によっては15ドル以上もする所があります。完全に舐めている。これはイグアスに着いてから宿のおばちゃんに聞いた話ですが、この免税街ではパラグアイ国内の闇工場で作った電化製品を日本製や中国製と偽って販売しており、これに騙された人々(特にブラジル人)が怒って今や国際問題にまで発展しているそうです。どうやらここ最近の国境のゴタゴタはこれが原因で、僕はまさにその真っただ中にこの国へやって来てしまった様です。

無事に新しい三脚をゲットし、昼過ぎにホテルをチェックアウトしました。セントロから大分離れたターミナルまで路線バスで行き、そこで乗り換え。僕が目指していたイグアス居住区は、日系人が多く住む田舎の街としてガイドブックに載っているだけで観光地ではありません。なのでダイレクトで向う長距離バスでは無く、各村に停車するローカルバスを使います。国境の街、シウダー・デル・エステと首都、アスンションを結ぶ国道沿い。シウダー・デル・エステから丁度42キロ地点にあるこの街へは「42キロ!」とか「ハポネスタウン!」等とバスの兄ちゃんに言うと、また日本人が来たかという感じで連れて行ってくれます。


Colonia Yguazu

イグアス居住区へは1964年に14家族が入植し、現在では180家族、900人の日系人が暮らしています。殆どの人々が農業を中心に生計を立てており、パラグアイ人も含めると人口9200人。1980年にイグアス市にも昇格しています。この街では日系人の日本語教育にとても力を入れていて、日本人でも難しいと言われる日本語検定1級を持っている人がたくさんいるそうです。そして二重国籍を持つこの街の若者達は殆どが日本に出稼ぎに出かけています。南米で三番目に貧しいパラグアイに暮らしながら、しっかりと将来を見つめ、自分の祖国を見つめ、街ぐるみでこの様なシステムを作り上げた事は本当に素晴らしい事だと思います。日本語がペラペラで国籍も持っているのなら、日本で働いた方が絶対にいい。そんな訳で若者が少ないこの街はメインストリートにすら殆ど人影が無く、ひっそりとしています。


ここは完全に日本です

今日はこの街で唯一の宿泊施設である福岡旅館に泊まっています。一泊13ドルとちょっと高めですが、何と納豆付きのジャパニーズブレックファーストが部屋代に含まれています。せっかくゆっくり出来そうな所へやって来たのですが、ここでの予定は一泊。明日の昼にはこの街を出て首都、アスンションへ向おうと思っています。

実はパラグアイから次の目的地であるボリビアのウユニ塩湖までどうやって行くのが一番早く、安いのか分かっていません。ここで調べようにも、何も出来そうに無いので取りあえずアスンションへ行って情報を集めようと思っています。

明日の朝が楽しみだなぁ〜。