2006/1/5


写真なんて撮っている場合では無かった。

今日が間違い無く、この旅の中で一番キツい移動でした。のどの調子も相変わらず悪く、お腹も少し曇り空。しかし9日にはペルーに飛ばなければならないので僕に残された時間は後4日。何も無いフローレスでもう一泊するより、ここでもうひと頑張りして最後は美しいアティトラン湖を眺めながらのんびり過ごしたい!その一身でハードな移動に耐えていました。

ぎゅうぎゅう詰めの2等バスからデンジャラスな首都を逃げる様に走るタクシー。猛スピードで飛ばすチキンバス。窓が隙間だらけのライトバン。最後は真っ暗闇の中をトラックの荷台にうずくまって急カーブの続く山道を30分。僕とエリベルトは気の遠くなる様な時間をかけて、グアテマラでの最後の目的地、パナハッチョルにやってきました。

フローレスの宿を出たのは午前4時。9時のバスでグアテマラシティーに向い、夜にはイタリア行きの飛行機に乗ると言うエレーナに別れを告げ、僕らはバスターミナルに向いました。彼女と一緒に過ごしたのはたったの2日でしたが、僕ら3人はとてもバランスのとれたいいトリオだった様に思えます。イタリアに来たら連絡してと言われましたが、何ヶ月も先にやってくる僕の事を彼女は覚えていてくれるだろうか?

バスターミナルに着いたのが5時ちょっと前。しかし、グアテマラシティー行きのバスは出たばかりで、次は何と7時でした。

後30分早く起きていれば…

せっかく早起きしたのに出だしから僕らは躓いてしまいました。やはり昨日うちにバスの時間を調べておくべきだった。まだ夜が明けきらない寒空の元、仕方無く2時間もバスを待つ事に。

何事に於いても常に一番安い手段を選ぶという僕らの取り決めで選んだ2等バス。1等バスに比べ快適さは格段に下がりますが値段は半分以下。しかし荷物の盗難やスリも頻繁に発生しています。更に目的地に向ってひた走る一等とての決定的な違いは、とにかくどこにでも停まってこれでもかと言うくらい人を乗せまくります。

僕らは始発から乗っていた為、席に座る事が出来ましたが、出発から1時間後には入り口のステップまで人でぎゅうぎゅうになっていました。そして、エアコンも無い中、大人達にもみくちゃにされながら立っていた子供を見兼ねて2人掛けの僕らの席に座らせてあげたので、結局、僕らもお尻半分でグアテマラシティーまで9時間を耐えなければなりませんでした。

本来の予定なら午後2時にはグアテマラシティーに着いている筈でした。しかし、着いたのは5時を過ぎ。僕らは既にクタクタ。パナハッチョルに向う直通バスもとっくに終わっており、何処かで乗り継ぎをしなければそこまで行く事が出来ませんでした。二人でグアテマラシティーに1泊して明日の朝早くパナハッチョルに向うのはどうかと考えましたが、この国で一番デンジャラスな街の景色を見てやはり何としてでも今日中に目的地に向う事にしました。ちなみにエレーナはこの街で信号待ちをしている時に、タクシーの運転手が何者かにナイフで手を切られて現金を盗まれるという事件に遭遇したそうです。

タクシーに乗り換え次のバスターミナルへ向い、シェラ行きのチキンバスに乗り換えました。僕らは朝から何も食べておらず、僕はお腹の調子が悪いの水も飲んでいませんでした。幸いバスはガラガラだったのですが、クネクネの山道を猛スピードで飛ばすクレイジーな運転手に以前、崖下に転落したあのバスの光景が蘇り、何とか無事に着く事だけを祈ってひたすら前の座席の背もたれにしがみついていました。

こうしてパナハッチョルまで後もう一息という所まで辿り着いたのですが、乗り換えるバスはもう終わっていました。しかしここまで来たら意地でも今日中に着く決意で、同じ様にその街で途方に暮れていたフランス人カップルとバンタイプのシャトルバスをシェアしパナハッチョルの隣町までやって来ました。時刻は午後9時過ぎ。

最後は屋根無しのシープの荷台で寒さに震えなが、まだ見ぬアティトラン湖を思い浮かべながらみんなで肩を寄せ合っていました。

もう何もかもどうでもいい…

一秒でも早くベッドに荷物毎体を放り投げる事だけを考えていました。

ようやくそれが出来たのは午後10時過ぎ。起きた時間から数えると実に19時間の大移動でした。もし、エリベルトと一緒に居なかったら僕は多分、パナハッチョルまで来る事は出来ませんでした。次々と周りの人に情報を聞きながら着実にコマを進めていく彼に僕はただ着いていってただけでした。情けないけど、これが今の僕の限界。何とか辿り着けた事は涙が出るほど嬉しかったけど、そんな自分の不甲斐なさに僕は泣きそうでした。

南米にいったらもっと自分の旅がしたい…

心からそう思った5分後には眠りに落ちていました。