2006/11/16


またまたお土産を買ってしまったシンペイ

1964年。タンガニーカとザンジバルが合併しタンザニア連邦共和国が誕生しました。それまではと言うと、この島は悲惨な過去を持つ1つの独立国家でした。今でもその名残が残っておりこの島にはイミグレがあります。入国スタンンプをちゃんと貰えるし、相変わらず陽気なこの島の人々はタンザニア人というよりはザンジバル人だという事に誇りを持っている様に感じます。


半分海に沈んでいる魚市場

1832年。オマーンのスルタンファミリーがこの島に宮廷を移しアラブ人による支配が始まりました。この支配はイギリスの保護領となる1890年まで続き、彼らはアフリカ各地から黒人をこの島に運び、奴隷の売買を行っていました。ストーンタウンはまさに奴隷貿易で発展した街なのです。


1時間も雨宿り

今日は朝から張切って街歩きに出掛けたのですが、その殆どが雨宿りに終わってしまった程、雨の多い一日でした。


Stone Town

しかしそれ程、大きくは無いストーンタウン。途中で何度も雨宿りしながらハッキリ言ってボロボロの旧市街をひたすら歩き回っていました。海から吹く潮風とバケツをひっくり返した様に降る雨期のスコールによる湿気で始めは真っ白だった筈のストーンタウンの建物はカビだらけです。しかしこの街の建物の壁は砕いた珊瑚と砂でとても厚く、柱は害虫に強いと言われるマングローブの木がツ別れており、とても頑丈に造られているそうです。


街中にカビが生えています

他の旧市街同様、ストーンタウンも路地が入り組んでおり迷路の様になっています。どこを曲がっても行き止まりは無く、どの通りを歩いても魅力的な人々の暮らしを見る事が出来る楽しい街。イエメンのサナアの旧市街を見た後ではちょっと物足りなさも感じますが、やはり歴史ある街並とそこに住む人々日常は同じくらい魅力的に思えます。それに完全なるムスリムの世界。僕はムスリムの衣装を着た子供達が可愛らしくてとても大好きなので、それだけでも十分、来た甲斐がありました。

ただお酒が飲めないのが、ちょっと残念な所。


Cathedral Church

今日は久しぶりに入場のかかる建物にも入ってみました。この大聖堂はかつて奴隷市場があった場所に立てられた物で、地下には市場に出され得る前の奴隷を収容した倉庫(写真左下)も残っています。アフリカ各地から連れて来られた奴隷はこの部屋の中で飲まず食わずの2日間を過ごし、その後、新大陸に船で連れて行かれました。

アフリカ全土では毎年数十万人にも及ぶアフリカ人が奴隷船で新大陸へ連れて行かれたそうで、生きて辿り着けた人は1500万人。途中で命を落とした人の数はその5倍以上と言われています。


からゆきさんの家

なんとザンジバル島にはつい40年程前まで日本人も住んでいました。からゆきさんと呼ばれる彼女達は売春目的でこの島に連れて来られた人々で、彼女達が開いたジャパニーズバーは船乗り達の格好の遊び場となっていたそうです。


汚くてもいい

そんなこんなで雨宿りしながら一日中、歩き回ったストーンタウン。そこまで大きな感動はありませんでしたが、僕は中々気に入っています。しかし今日は天気が悪くてあまりいい写真が撮れなかったので、最終日にもう一度、探索しようと思っています。

ストーンタウンの模様はPictコーナーのタンザニアの所にアップしてありますのでそちらでもお楽しみ下さい。


サラバ相良!

夜は今夜の夜行フェリーでダルエスに戻るという相良君の送別会。最後の晩餐のメニューはマーケットの近くの屋台で一食600シリング(60円)のぶかっけご飯でした。何だかんだ3ヶ月も一緒にいたのにお別れの挨拶はいつもと全く変わりませんでした。って、もう2度と会えないだろうという事をすっかり忘れていました。

何だかんだ憎めない奴だった相良君は、この後、マラウィーに向います。

相良、一緒に旅で来て楽しかったぞー!またドコかで。

明日からは待ちに待ったビーチ!!!ストーンタウンからミニバス1時間半程行った島の東側にあるパジェという町へ向います。コバルトブルーのインド洋と真っ白い砂。ビーチも楽しみになんですが、実はこの町には日本人経営の宿があり、そこではおいしい日本食が食べられるのです。宿には高過ぎて泊まりませんが、行ったからには必ず日本食を食べて来ようと思っています。

あ〜楽しみ。